仁丹体温計の作品


[日本雑誌広告賞] 第一部多色刷 銀賞
[消費者の為になった広告コンクール] 最優秀賞
S51年 「主婦と生活」他掲載



[読者が選ぶ広告コンクール] 最優秀賞
S48年 講談社刊「朝日グラフ」他掲載

この写真は(勿論広告の文字はカットされて)NHKの朝ドラ『北の家族』?の
室内の壁に貼られていて 毎朝放映されていたのがスタッフで話題に!



[消費者の為になった広告コンクール]
最優秀賞
S48年 日本経済新聞社刊
「ショッピング」他掲載








仁丹の作品



永井照人さんに初めてお会いしたのは昭和45年、私が社会人一年生の時のこと。初めてお
願いした仕事はその年の初冬の早朝ロケだったことを今でも昨日のことのように覚えてい
る。その当時、永井さんはすでにスタジオフラッシュのチーフとして、とても忙しく活躍
しておられたのだが、快くスケジュールを空けてくださった。とてもヤル気溢れる仕事ぶ
りにプロの仕事とは……を教えられ、それに引っ張られるように今日まで私も仕事をやっ
て来れたと思っている。
生来の呑気者で機械いじりが好きだった私は、高校三年の秋まで理工系に進むつもりで、
なんとなく勉強していたのだが、ある日急に思い立って方針転換。結局なんの準備も専門
的な勉強もしないまま美術系に進んでしまった。大学でも木版画をかじったりはしたが、
殆どはいい加減な時を過ごしていたから、素人同然の状態で森下仁丹の宣伝課の専門職と
して収まっていた。何も知らないくせに生意気盛りの若造であっただろう私に仕事を任せ
てくださった先輩方の暖かさにも助けられ、歳が近いからか何故かウマが合う永井さんと
の仕事が多くなっていった。素人同然の私はあんなことやこんなことと、トンでもない見
当違いのリクエストをするのだが永井さんは「出来ない」とはまず言われない。何とかや
ってやろうとされる。そのうえ、考えていたよりもずっといい答を出してくれる。それの
繰り返しが今日まで続いている。
私も何人かのフォトグラファーとお付き合いがあるが、永井さんほど気軽にわがままを言
える人は他にない。言いたいことを遠慮なく言える、心底甘えることのできるカメラマン
なのだ。
いい写真には余計なファクターを加えない、これが私の手法。つまり私の仕事は、永井さ
んに負うところ大なのである。
32年もの間、お付き合い戴けるということは大変な事だと思う。楽しく懐かしい思い出は
枚挙に暇がないが、いまだにお互いの仕事に影響し合えているのは嬉しいことだ。永井さ
んが保存されている昔の資料を見せてもらって、改めて30年の時の長さと、その時々に随
分多くのことを学ばさせてもらったことを噛みしめている今日この頃である。
ところで、永井さんのトレードマークと言えば“ヒゲ”。長期ロケの間に皆で生やしたヒ
ゲが最もサマになったのが永井さんだったのだ。剃ってしまうのは勿体ないと唆したのが
私であることが今なぜか誇らしい。              (山本 武司)

山本武司・永井照人

 山本武司さんとは兎に角長く、独身時代から30年来のお付き合い!
私がスタジオに入社して少しして、山本さんも森下仁丹の宣伝課に入社された。
無我夢中でアシスタント時代を過ごし、チーフになった頃、納品や打合せ等で伺ってい
る間に山本さんと接近する機会が多くなったように思う。

当時の宣伝課は私にとっては好奇心一杯の魅力的な仕事場で、暇を見つけてはスタジオ
を抜け出し、入り浸っていたように思う。
まだなれない私には、あらゆる宣伝物を事もなげに素早く仕上げてしまうスペシャリス
ト集団がすごく頼もしく思えた。
色々優しく教えて頂いた万能のリーダー 村田一美氏、パッケージデザインの第1人者
吉本登氏、平面からTVCMまで幅広く担当された穐原真知氏、パッケージやPOP等
のメカを得意とされた曽根高正明氏、そして斬新なアイデアを出されていた山本さん。
以来、山本さんには公私ともに親しい友人のようなお付き合いをして頂いているが、
私的な事でお世話になった事は数限り無く、私の結婚式のユニークな案内状から、12
年間!通して好評だったイラストの家族の年賀状、会社の案内状、そして会社のロゴや
住所修正までも。困った時の山本さん、だった。
(それもほとんどボランティア状態で!本当にありがとうございます。進行形。)
                                 (永井 照人)






仁丹ゴールドスポットの作品



仕事上での大きな思い出の一つは、一週間の北海道ロケ。
当時まだ珍しかったキャンピングカーで、大阪から敦賀へ、そこから33時間フェリー
に乗りローリング状態で一路小樽港へ。船酔い醒めやらぬまま千歳空港駐車場で一泊。
いきなり「強盗犯人が逃走しているので気をつけて」と警官の飛び入り有り!
そこから東京のモデル前田範子さんとスタイリスト、アシスタントの上野松雄君、そし
て森下仁丹宣伝課の穐原さんと山本さんと私の6名で北海道撮影旅行が始まった。

多数の雑誌広告用の撮影で、未だに忘れられない充実したロケだった。
トラピスト修道院の放牧場で、雄大な夕焼けをバックにしてのモデル撮影。
早朝から発煙筒を持って駆け回った(朝もや想定の為)大沼でのイメージ撮影。
大きな乳牛にモデルが何度もなめられ、悲鳴を上げていた牧場撮影。
牧場での一泊中、牧童頭から差し入れてもらったバケツ入りの生牛乳。
翌日、そのバケツの牛乳はキャンピングカー移動中バターに変身、これにはビックリ!
長万部で食べた安くて旨かった路上売りの毛ガニ!撮影後のじゃがバタとビールと水割!
(ロケ中はやした無精ひげが 現在まではやす切っ掛けになってしまったとは‥。)
それ以後です。「これは天職だ!」と、出張ロケにはまり、ロケ三昧になったのは。
この頃から、より山本さんとは信頼関係が深まり屋外ロケが多くなったように思う。

山本さんの、状況次第で臨機応変にデザインをされる構成力、シンプルでいて的確な表現
力と速やかな判断力は定評のあるところ。尊敬できるデザイナーの一人である。
現在はクオレ化粧品、三広企画の取締役として活躍されているが、私自身コマーシャル
の印刷煤体の数としては山本さんとの仕事が一番多いように思う。
今現在当社と関係しているだけでも、
現代パステル協会の代表、松田登画伯の個展の案内状や1年掛かりの図録、
居合道の第一人者・全日本居合道連盟会長、無雙直伝英信流二十二代宗家・池田隆聖昂
先生の写真集と教本、これも完全な製本を終えるまで1、2年を要する見込み。
本来の仕事以外に不定期スケジュールで奮戦中!申し訳ありません。
これに懲りず、これからもよろしく!                (永井 照人)






クオレ化粧品の作品








その他の作品







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